twitterで先日わたしがつぶやいた、
よく、人は何の為に生きるのかとか考える人がいるけれど、
それはブルジョアジーが悩むことで、
被雇用者側は資本家が楽な生活をするために生まれたのであって、
労働力も時間も搾取、それで得たわずかな賃金も資本家が儲かるために使う存在で、
卵を産むために生まれた鶏と変わらない、などと思った。
へいただいたコメント
わたしはガチガチの貧乏人で、
自らの努力で這い上がって出世したみたいな物語も無いんですが、
卵を産むための鶏みたいなもんか、でもちっぽけだけど頑張って生きるぜ。
それだけは邪魔されたくない。
と開き直ったらちょっと楽になれるのかなと少し思いました
について、夢の中で神様が次のように話されました。
「あなたが子供の頃に読んだ『アンクルトムの小屋』は、
子供の頃には背景まで知らなかっただろうけれど、
リンカーン大統領が誕生する以前に黒人奴隷解放をテーマにしてストウ夫人が描いた小説で、
南北戦争にまでつながる大きな流れを引き起こした。
『アンクルトムの小屋』の中で
黒人女性奴隷のイライザが唯一の生き甲斐である赤ちゃんを
奴隷として売られるのが嫌で、オハイオ川の流氷の上を
裸足で足の裏の痛みも耐えて逃げ切るエピソードがあったのを
覚えているでしょう。
彼女は奴隷生活はつらいことがあっても、
子供を育てて、笑顔をみるときは
幸せを感じていて、がんばっていた。
なら、『いまいるところでささやかな幸せを感じているから』
それでいいのだろうか。」
さらに言われました。
「フランクルの『夜と霧』をはじめ、強制収容所の過酷な中でも、
幸せだった頃のことを思い出したり、
太陽や雲や雑草などを見て、
ささやかに小さな幸せを不幸の中でも感じていた人たちはいる。
でも、幸せがあるし、がんばって生きればそれでいいのだろうか。」
そして言われました。
「ほんとうの自由、解放された上でのほんとうの幸福が必要でしょう。」
目が覚めて思うのは、
いつもいつも絶えず話されるのは、
自由、解放についてなのだなということです。
人を縛るのも人、人を開放するのも人。
人に生まれるってことは業が深いことなのかと思います。
色んなことを学んでいくために人は生まれるっていう人もいるから、
そう言われればそうなのだろうかとも思います。
正直どうしたらいいのかよく分からないけど。
投稿情報: 南国 白くま | 2012/11/14 14:01
親子関係とか恋愛関係、友人関係のような小さな人間関係ですでに支配する側になる人と、支配されやすい人といますね。
支配されやすい人は「金もってこい」「パン買ってこい」と言われないで自由に尊厳を持って生きていくためにはどうすればいいんだろう?と思ったりします。
大勢が共存するためにはリーダーとそれに人々が従うことが必要でも、それが抑圧に結びつかないというのは難しいです。
よいリーダーが必要ですね。
投稿情報: 福沢祐巳 | 2012/12/10 11:31