数日前に隻眼の鳳凰が空を飛んでいる夢を視ました。
それをきっかけに、
「どうして聖なるものには隻眼が多いのだろう」と
この数日考えています。
いくつかtwitterでメモしたことを書いておきます。
6月4日
片目の鳳凰が空を飛んでいる夢を視て、考えた。
古いアジアの聖典では片目の魚などが出てくるけれど、
片目ってどんな意味があるんだろう。
大学の先生は「片目は百戦錬磨の意味では」と言ってたけれど違う気がする。
旧約の伝承は目をつぶして行ったし、目ってなにか大事な意味を持つ象徴に思える。
※イソップの元となった古代インドの説話集ヒトーパデーシャには
片目の魚が登場します。
盲亀浮木の譬えの亀って盲目じゃなくて片目だそう。
達磨さんも片目だ。http://www.gts-kokoro.jp/blog/?p=20
6月5日
白隠禅師の「 君 看よ、双眼の色 語らざれば 憂い無きに似たり」 と
いう言葉を、どうして良寛禅師は「君看隻眼(片目の意味)色」
(君看ずや隻眼の色)に変えたんだろう。
フリーメーソンの目のシンボルも連想しました。
隻眼は超越存在のキー、そんな気がしています。
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