こんな夢を観ました。
或る老人が鏡の前に座っています。
役者のようです。
彼は自分の顔というか表情が気に入りません。
彼はふと思い当たります。
自分は若い頃から他人が書いた台詞をしゃべるだけだったことに気づきました。
舞台はもちろん、メディアへのインタビューもあらかじめ質問内容を想定して
マネジャーが作った文章を語っていただけで、ほんとうに質問に対して答えたことが
ありませんでした。
それはきっとインタビュアーも同じでほんとに聴きたいことでもないのでしょうが。
もうちょっと突き詰めてみたら、彼は自分の思考が誰かが書いた本の
誰かが想定した感情だけになっていることに気づきました。
生き別れになった大事な人に再会したときに涙を流して号泣するのは
人の書いたシナリオであって、ほんとは年月が変えた風貌をみて、
いぶかしげに相手をみて、それから静かに挨拶をするのが自分流だろう、
そんなことをひとつひとつに思ってみました。
次に自分が選んだ家、部屋、家族、服装、メイク、髪型・・・
なにもかもが他者がイメージを作ったものを持ったにすぎないことに気づきました。
すると彼は自身の言葉で話し、自身の感情で行動したくなりました。
彼は何もかもを捨てて、身一つになりました。
それはかつて舞台で演じた聖フランチェスコと同じでしたが、
舞台と違って、ついてきてくれる友人はいませんでした。
彼を愛し尊敬して自分もまた家を出るクララもいませんでした。
舞台みたいにすべてを捨てる決心をした喜びに満ち溢れるわけでもなく、
ただただ悔恨がありました。
もう若くはないから、やりなおしも、失ったものともう一度手に入れることも
できそうにはありません。
それこそシナリオどおりではない感情でしたが、最後まで
人が書いた本にのってしまった自身を嘲笑するしかありませんでした。
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