このところ、原発事故の不安からかもしれませんが、
不吉な夢を頻繁にみていました。
数日前にtwitterのほうで「日本語がアラム語、ラテン語、
パーリ語のような死語になる夢をみた」ことを
つぶやきましたが、こちらでも記録しておきます。
夢の中で、未来の自分が見えた。
英語を話している。
海外に移住したのだろうか。
大きなコロシアムのようなところで話をしていて、
日本なのか海外なのかわからない。
それよりさらに未来がみえた。
外国人が日本語の勉強をしていた。
一見なんでもない風景だけれど、
話している内容が聞こえて、ぎょっとした。
日本語がアラム語やラテン語、パーリ語のように
死語として学ばれているのだった。
日本がどうなっているのか見ようとしたけれど、
見えない。
消えたのだろうか。
地理的に?
それとも国家が?
動揺して精神集中できない。
「こんなことで動揺しては立派に人々を
導けないぞ。」
という神さまの声が聞こえた。
黒澤明監督の「乱」の最後のシーンを見せられた。
あの道化のようにfool、愚者として
車輪が回転するのを平然と見られる神経を養わないと
いけないのだろうか。
わたしはまだまだ不安や動揺でいっぱいで
平然と人の死を見れない。
そう思っているところで目が覚めた。
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