夢の中で神様が言う。
「舞踊をしていると、何かを創造することも、壊すことも、
維持することも、あらゆることが識だけによるという
唯識がとてもしっくりいくでしょう。」
唯識なんて長いこと離れていて忘れていたけれど、
たしかに何もないところから自らの識によって、
或いは観る者の識によって、何かを作っていったり、
既成概念や先に作ったものを壊したり、
そんなことを繰り返している。
「唯識、なんて概念を扱うことが『瑜伽行派』の教えなんて
不思議な感じだけど、いまあなたが舞踊を通じて
実感していることを、瑜伽行唯識学派の人たちは
実感して提唱したんだね。」
そういえば、いままでそんなことを考えたこともなかったけれど、
唯識を取り扱っているのがヨガを行ずる瑜伽行派の人々というのは
興味深い。
舞踊はたしかに踊っている瞬間、
全存在が識によって作り出されるけれど、
一方ですべては演ずる者、観る者の識でしかない。
一切は無常であり、生まれ、過去のものとして消滅していく。
つまり舞踊(あるいは瑜伽行)においては一切は「空」であり、
実体のないものなのだ。
そんなことを考えているところで目が覚めた。
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