アメリカのコロラド州あたりの田舎町。
地元の高校にすごいバスケットボールの選手がいて、地方紙を
にぎわしているので、試合を見に行きました。
2メートル近い身長のルックスのいい黒人の選手です。
この町は町長はじめ、自治体関係者や中心となる産業のオーナー、
大地主たちが石油がらみの利権で汚職をしていて、問題となっていました。
地方紙にはこのところ連日そうした連中の一人が不審死を遂げた
ニュースが載っていました。
全員頭や肩、心臓などに吹き矢のようなもので毒チップを射られて
死んでいて、町の人も地方紙も怪傑ゾロやバットマンの登場の
ようなヒーロー扱いをしていました。
試合の帰りに、一人で歩いていたら、路地裏から断末魔が聞こえて、
あのかっこいいバスケの選手が走っていきました。
声のしたほうにいってみると、町の大手証券会社の支社長が
吹き矢のようなもので殺されていました。
「まさか彼が?」
そう思うのは自然のことです。
わたしは携帯で警察と救急車を呼びましたが、バスケの選手を
みかけたことは言いませんでした。
でも、その後、わたしは誰かに後をつけられて、ついに襲われそうに
なりました。
と、吹き矢が飛んできて、わたしを襲おうとした男性が倒れました。
後頭部に毒チップが刺さっていて、ものすごい形相で固まって
すでに死んでいました。
汚職疑惑のある市長さんでした。
死体をみても怖いとも悲しいとも感じないで、今度は警察に連絡も
せずに、殺した犯人を確かめたくてバスケの試合のある競技場に
車を飛ばしました。
会場に入ると、案の定、あの高校の試合中なのに、例のかっこいい
バスケの選手がいません。
「やっぱり彼だったのね」
彼がいないと、この高校はびっくりするくらい弱くて、なかなか
シュートが決まりません。
もう少しで試合終了というときに、彼がベンチに入ってきて、
即座に選手交代。
見事なシュートを決めて優勝しました。
わたしは彼のことをアメリカンヒーロー、正義の味方とみていて、
誰にも彼の正体を話すつもりがないことに、自分自身で気づいて
ちょっと考えてしまいました。
汚職事件は悪いことです。
でも、それにかかわった人を順番に殺すことも悪いことです。
おそらくいかにも凶悪犯がしていたら、ただの連続殺人犯として
怖がっていただろうし、わたしは警察に通報したのではないでしょうか。
でも、ルックスのいいバスケのヒーローが犯人だと、とてもよいこと、
正義なことに見えてしまいます。
では、正義とかよいことというのは、「かっこいいこと」をさすのでしょうか?
彼が醜くて、小汚いおじさんだったらヒーローではなく凶悪犯に
みえるということは正義とはかっこよさ、ルックスのよさなんですね。
そんなことに気づいたら、簡単にまやかされる小さなおつむの
存在であること自体が悲しくなってきたところで、目が覚めました。
最近のコメント