夢の中でわたしは法隆寺の宝物殿に収蔵する仏教美術を選んでいた。
直径1.5メートルはゆうにありそうな大きな仏頭像に金箔を張り巡らしたものと、掌にすっぽりはいる木造の彫りも荒くてシンプルな仏像のどちらかひとつを収蔵、両者は霊的に相性が悪いのか残ったほうは収蔵しないことになっていて、どちらを後の世代のために宝物殿に収蔵すべきかと和尚に相談されていた。
金箔を丁寧に何重にも施した仏頭のほうは金箔だけでもかなりの値打ちがありそうだ。
一方一部炭化したような木像のほうは顔もはっきりとは彫っていないでぼんやりしている。
なぜこの2者から選べというのか、答えはあきらかではないかという感じだ。
すると鞍作止利 (くらつくりのとり)がやってきて、
「金箔の量とか仏像に使っている木の材質とか重さ、大きさや彫りの細かさだけで選んではだめですよ。
材質の金銭的値打ちよりどの時代の誰が彫ったかとかどういう祈願を込めて彫ったのかとか
そのものの値打ちをよく見て選んでください。」
と言った。
アルカイックスマイルの金の仏頭は北魏様式のもので、シンプルで彫りもあいまいな小さな木像は一木造りで、インド産の白檀ではなく日本ではじめて楠木を用いて彫ったものだという。
とするとこの小さな木像を宝物殿に入れるべきなのだろうか。
そういわれてみればシンプルな中にも何かしら霊気というかありがたさのようなものが感じられる。
でも説明がなかったら稚拙で残す値打ちがないものにも見える。
人間の選択眼なんてあてにならないものだな。
いちおう誰がみても何か値打ちがありそうに何層にも箱にいれて、なかなか公開はしないようにさせるか、などと思ってるところで目がさめた。
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