夢の中で、哲学を講義している人を視ました。
「アプリオリとは演繹的、アポステリオリとは帰納的という意味で・・・」
神様が笑って言いました。
「本人も学生も言葉を暗記はできるし、
暗記したことを言ったり書いたりはできるけれど、
あんな表現で言葉の意味するところが
ほんとにわかってるんだろうかね・・・。」
そう言われてみると、自分はどうだろうかと
気になります。
アプリオリは先天的、教わることも経験もなくても
初めから備わってるもので、
アポステリオリは後天的に経験や教育で得た知識、
っていう理解でいいのだろうか・・・。
神様が言います。
「ん?
アルファベットにしてごらん。
priorとpostだよ?」
ああ、そうか。
それだけのことなのか。
目から鱗だ。
自分もカタカナと漢字、教わった知識で覚えてて、
ほんとにカントの趣旨を理解しようとせずに
読んだ気になっていました。
アプリオリ、アポステリオリは
カントの「純粋理性批判」に出てくる言葉で、
概念を2つに分類します。
言葉や講義から入った知識による説明ですが、
神概念はアプリオリに人間に備わっているもの、
歴史などはアポステリオリに学んだり経験によって得られる知識、
みたいな内容です。
目が覚めて、いままで覚えたことが
ちゃんとほんとうの趣旨を理解したら
かなりコペルニクス的転回なものが
あるんじゃないか、と自分の知識に懐疑的になって、
それが自分ではなかなか興味深いので書き留めておきます。
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