また嫌な夢を見た。
大き目のめざしみたいな焼き魚を頭からかじったら、
途中から生で血がどばっと口の中に吹き出て、
はらわたや生肉が口の中に広がって、思わず吐いてしまった。
いくらうがいをしても口中の血の味がなかなか抜けなくて、
置いた魚の死体からはたくさんの血がどばどばと流れている。
聖書に血を抜いたもの以外は食べてはいけないとあるけれど、
ユダヤ教に限らず、日本でもお刺身なんかも血を抜いて
生々しい死体の様相を消して食卓に出してるんだなあと
思ったりした夢だった。
また嫌な夢を見た。
大き目のめざしみたいな焼き魚を頭からかじったら、
途中から生で血がどばっと口の中に吹き出て、
はらわたや生肉が口の中に広がって、思わず吐いてしまった。
いくらうがいをしても口中の血の味がなかなか抜けなくて、
置いた魚の死体からはたくさんの血がどばどばと流れている。
聖書に血を抜いたもの以外は食べてはいけないとあるけれど、
ユダヤ教に限らず、日本でもお刺身なんかも血を抜いて
生々しい死体の様相を消して食卓に出してるんだなあと
思ったりした夢だった。
なんか青い空と白い雲が漂う天空みたいなところにふわふわしていて、
ジョン・レノンとジョン・デンバーに逢いました。
どっちも好きではあるけれど、そんなに特別好きな人とかアーティスト
ってのでもないんだけど。
2人とも歌を歌ってくれました。
ジョン・レノンは"Oh! My Love"に似た切ないメロディー。
みんなは僕を死んだと言って追悼と称して金儲けしている
でも僕はこの世界で生きていて、いまはいまの感覚で
金やスケジュールを気にせずに好きな歌を作っている
この歌みたいにね
太陽も風も雲も感じられるし、静かで心地いい気分。
うんざりさせられることから開放されて、前より少しましかな
さようなら 僕はこの世界で沈黙の音を楽しんでいるよ
雑音の多い世界からこちらに来たことを悲しまないで
神格化しないで
ハイエナみたいな連中の金儲けに利用されないで
自分もシンクロして沈黙の世界を楽しんでくれたほうが
よほど僕はうれしい
そんな内容の歌でした。
ジョン・デンバーは"When You Looking For Space"に似たメロディー。
さようなら(farewell) 地球
いまでも背中に太陽の日差しを感じてぽかぽかと暖かくて
それで涙がでたり、幸せになったりする
太陽はほんとにどんなところにも光と暖かさをくれるんだねって
ここに来て、長い時間が経って
やっと自分が何者なのか、何をしてきたのかが
わかった気がする
やっぱり足を土に縛られてなくて
自由に空中を動いていられるってのは
いろいろなしがらみから開放されることなんだね
地球でも鷲みたいに空を自由に飛べたら
もっと真理が簡単に見えたんだろう
そしてとても自由になって、なんの呪縛もなくなった今
あらためて言いたい
I love you, people
Thank you very much......
こんな夢を見るのは、もう死期が近いのかなぁ・・・。
でもこんなのが死んだ後なら、死を怖がることはないし、
悪いことじゃないかもなどと思ったりしました。
夢の中で、突然、カブトムシに助けを求められました。
声がするように行ってみると、庭に割れた植木鉢が斜めになって土に埋まっていて、
カブトムシはわずかな隙間から外に出ようとして、挟まって身動きが取れなくなっていました。
「せっかく生まれてきたのに、ここからでられないよ
鉢をどかして外にだして。」
鉢を持ち上げてやると、うれしそうに角を動かして挨拶しました。
声が聞こえた気がしたけど、気のせいかな。
そう思ってたら、雨上がりの舗道からミミズの声がしました。
「雨だ、雨だ」
「踏まれないようにしないと」
「ぼうや、雨が上がる前に湿っぽいところにいかないとだめよ。
お陽さまや虹をみたり、猫と遊んでると、あっというまにひからびちゃうのよ」
ミミズって飛べないし、走れないし、たいへんだなあと思いました。
でも土に縛られてるのも、いつ鳥がついばみにきたり、うっかりしてると
ひからびて死んでしまったり、踏まれたりするのも、人間もそうだなあ。
そんなことを思ってるとまたさっきのカブトムシがきて話しかけました。
「ここ土だけで何もないんだけど、ぼくのこと飼ってくれる?
蜜と水だけでいいよ。」
「いいけど、猫がいじめないかしら」
「だいじょうぶ。猫といっしょにぼくも飼って。
ほかにカブトムシの仲間いないみたいだから。
ひとりじゃさびしいから、生きてる間いっしょにいて。」
カブトムシは我が家の一員になりました。
猫ともお話できるみたいで仲良くしてて、問題ありませんでした。
昆虫と話せたからってお金がはいるわけでも、名声をえられるわけでも
ないし、下手に人に話すとあぶなそうな目でみられそうだけれど、
なんだか昨日よりちょっと楽しみが増えた気がしたところで目が覚めました。
なぜか庄司薫が夢に出てきました。
インドの研究者の原実博士が庄司薫氏とわたしをお茶に呼んでくれたのでした。
「いまどんな本を読んでるんですか?
ぼくは今、カンブリア紀に関する本を読んでるんですよ」
「カンブリア紀ですか。
懐かしいです。
小さいころ、モンテソーリの幼児教育で恐竜とか古代の話を読みました。
恐竜の図鑑とか好きで読んでました。」
庄司薫氏がうれしそうに笑ったその顔をみて、ピンときたので訊ねました。
「もしかして、お嬢さんがいまモンテソーリの幼稚園に通ってて、それで
薫さんもカンブリア紀のことを読まれてるんですか?」
1,2年前に文芸春秋の口絵で庄司薫氏と中村紘子氏が2歳の女児と
自宅のテラスで写ってた写真を見たのを思い出しました。
「・・・まあそういうわけでもないんだけど。
でも恐竜が好きな女性というのはなんだかうれしいね。」
庄司薫氏は本気でわたしのことがお気に召したらしく、いま上野の国立博物館で
特別展示をやってるから今度の土曜日にいかないかとか、おいしい川魚のお店が
あるけどひとりでいってもつまらないからご一緒してくださいとかあれこれと
誘ってくれました。
わたしはうれしいけれど、中村紘子さんとご一緒しないのかなあ。わたしが
行ってしまってだいじょうぶなのかな、悪くないのかな、と返事に困ってるところで
目が覚めました。
庄司薫氏は学生時代の友人がファンだったので、サイン会に付き合わされたことが
あります。
わたしも帰りが遅くなったアリバイに1冊本を買ってサインしていただきました。
「どうもありがとうございます。学校が遅かったのでこんな時間に到着しましたが、
まさかサインをいただけるとは思ってなかったのでとてもうれしいです。」
そう挨拶したら、うれしそうに、でも(いや、それは当然のことですよ)という感じで
「いいえ~」
と返事をいただいて、握手していただいて、そのときの雰囲気がとても感じよかったので、
それからずいぶん著書を読みました。
数年後にまたサイン会をみつけて、いってみたら、そのときは疲れてたのか、
ぶっきらぼうにサインしてポイっと本を渡してはい次の人、という感じでがっかり。
その後はもうずっと意識に庄司薫さんが上ることはありませんでした。
どうして夢に現れたのか不思議です。
夢の中でわたしにはペットマニアの夫がいました。
夫がたくさんの動物をペットショップで買ってきました。
山猫、浦島太郎が乗れるような大きな亀、人間も丸呑みできそうな大きな蛇などなど。
大蛇が入っている檻には本日のSALEだったといって、餌に雄鶏がはいっていました。
大蛇はとぐろを巻いて寝ているので、雄鶏は元気に無邪気に跳ね回ってます。
わたしはこれらのペットの餌をやったり檻の中の掃除などの世話を言いつけられました。
「大蛇は餌の雄鶏がなくなったらまたやればいいから。」
そういわれましたが、元気に動き回っている雄鶏を見てるとなんだか食べられてしまうのは
かわいそうで、変わりに鶏肉でも餌としてあげられないかなと思いました。
でも鶏肉をあげると、鳥のにおいと味を覚えてしまって、せっかく共存してるのに、
わざわざ雄鶏を襲わせる引き金にならないでしょうか。
そんな風にも思ったのでやめました。
わたしがとてもかわいがっているペットの猫が好奇心でいっぱいで巨大な亀の
檻に近寄り、顔を亀の顔に摺り寄せます。
「食べられでもしたら・・・」
心配気にみてると、
「だいじょうぶだよ。この亀は草食だから。」
と夫がいうので、どんなに猫が亀に近づいても気にしなくなりました。
「大蛇の餌は無くなったらやればいいけど、無くなったらすぐにほかの動物をやらないと
だめだよ。腹をすかせると出てきて人間を襲っちまったら大変なことになるから。
雄鶏が食べられ始めたらすぐにペットショップに電話すれば、食べ終わるまでに
その日のSALE品を届けてくれるから。」
そういわれて、雄鶏と大蛇のいる檻を時々観にいってました。
「生きてる動物を餌としかみないで、本日のSALEとかっていうのもいやな話だな」、
わたしはそう思いました。
食べ始めたらすぐにペットショップに電話をして次の餌の準備をするというのも、
こんなに無邪気に元気に遊んでる雄鶏が殺されるのを待ってるようでとても
いやな気分になりました。
そういえば猫がいないな、そう思いながらネットに向かうと、夫がエッセイに
ペットの猫が亀に食べられた話を書いていました。
「肉食だったんだ。」
ものすごいショックと悲しい気持ちでいっぱいで大蛇の檻に戻ると、
雄鶏は食べられ、大蛇は餌を探しに逃げてしまっていました。
わたしは怒鳴られ罵られ、「すぐ探して来い」と言われました。
あわてて近所中を走り回って探しながら、もし大蛇に遭遇したら、どうやって
家に連れ戻せばいいんだろうと思いました。
わたしが食べられてしまうのか、警察を呼んでもおまわりさんはすっとぼけて
きてくれない、近所の男性だって助けてくれないだろう。
でも連れ戻さないと叱られる。
ふと、こんなに恐ろしい大蛇と猫も食べてしまうような亀を買ってきたのは、
世話をしてる間にわたしを食べさせようという魂胆からだったのかなと
思いました。
それならなおさら、生きて大蛇を檻にいれるか、せめて大蛇に勝ちたい。
そう思いながら大蛇を探しているうちに、どんどんと身体の中に熱く太い
根源的な生きる力、サバイバルのための本能みたいなものが
息づくのを感じてきたところで目が覚めました。
夢の中でわたしはエスカレーター式の名門進学校の中等部に通う娘を持っていました。
成績は上位、お友達に囲まれ楽しそうにしていて、もうこのままこの高校にあがって
卒業すれば後は留学しても国内の大学にいっても、もし音楽や絵などのアートの
才能があれば、それを生かして好き勝手なことをしてももう安心と思っていました。
ところが娘が突然泣きじゃくって
「学校をやめる。地元の公立でいいから、あの学校には行きたくない。
明日から学校に行かない。」
というのです。
子供の世界は今日仲良しグループで或る別の子をいじめてても、明日はそれが
自分になることも考えられます。
いじめがあったのかときくとそうではないと答えます。
がんとして学校にいかないといってるので、とりあえずいま通っている学校は休学にして、
2ヶ月くらい近所の公立に通わせて、やっぱりあの学校がいいと思ったら戻そうか、
そう思って調べましたが、どうやら転勤による引越し以外で他校に行くと戻っては
これないようです。
そのうちに娘が口を開きました。
「数学でね、0点とっちゃったの。もう内部進学できない。」
娘の学校の数学はたしかにかなり難問です。
でもわたしは文系に進んだとはいえ、かつて全国模試などで数学は上位4,5位にまで
はいったこともあって、ちょっと勉強すればかなりの難問でもまだなんとかなりそうです。
「ママが教えてあげられるからママといっしょに勉強しよう。
先生には追試してもらえるか、レポートかなにかで済まないかきいてあげる。
いままで成績上位だったし、このテスト1回だけでもう進学できないなんてことは
まずないから。」
でも返ってきた娘の言葉は
「くそばばあ。
うちの学校を出たわけでもないのにしったかすんな。
0点を1回でもとったら無理なんだよ。
先輩のXXちゃんも学年2位とか取ってたけど、1回テスト失敗したから、内進は
無理で、他校にいくんだよ。ばーか。」
唖然としながら、幸せってなんてかんたんに壊れるのだろうと思いつつ、大学の先輩で、
子供の学校のことで悩んでいた人を思い出しました。
いや、悩んでいるより、まずはどうするかだ。
自分自身なら先生に相談して追試か課題を出してもらって、猛勉強して切り抜ける。
でもその気がなくてかたくなになっちゃってる人を動かすのってなんて難しいんだろう。
そううろたえてるところで目が覚めました。
夢の中でわたしは法隆寺の宝物殿に収蔵する仏教美術を選んでいた。
直径1.5メートルはゆうにありそうな大きな仏頭像に金箔を張り巡らしたものと、掌にすっぽりはいる木造の彫りも荒くてシンプルな仏像のどちらかひとつを収蔵、両者は霊的に相性が悪いのか残ったほうは収蔵しないことになっていて、どちらを後の世代のために宝物殿に収蔵すべきかと和尚に相談されていた。
金箔を丁寧に何重にも施した仏頭のほうは金箔だけでもかなりの値打ちがありそうだ。
一方一部炭化したような木像のほうは顔もはっきりとは彫っていないでぼんやりしている。
なぜこの2者から選べというのか、答えはあきらかではないかという感じだ。
すると鞍作止利 (くらつくりのとり)がやってきて、
「金箔の量とか仏像に使っている木の材質とか重さ、大きさや彫りの細かさだけで選んではだめですよ。
材質の金銭的値打ちよりどの時代の誰が彫ったかとかどういう祈願を込めて彫ったのかとか
そのものの値打ちをよく見て選んでください。」
と言った。
アルカイックスマイルの金の仏頭は北魏様式のもので、シンプルで彫りもあいまいな小さな木像は一木造りで、インド産の白檀ではなく日本ではじめて楠木を用いて彫ったものだという。
とするとこの小さな木像を宝物殿に入れるべきなのだろうか。
そういわれてみればシンプルな中にも何かしら霊気というかありがたさのようなものが感じられる。
でも説明がなかったら稚拙で残す値打ちがないものにも見える。
人間の選択眼なんてあてにならないものだな。
いちおう誰がみても何か値打ちがありそうに何層にも箱にいれて、なかなか公開はしないようにさせるか、などと思ってるところで目がさめた。
こんな夢を観ました。
仕事を探していたら、2人の友人が「人を探してるんだけど」と
いい仕事を紹介してくれました。
一つは東大医学部の実験助手でした。
時給は878円で9時から5時までフル勤務。
仕事の内容は、動物実験でした。
ハムスター、ハツカネズミ、モルモット、犬、猫、猿、ウサギに
癌細胞を注射して、それから毎日癌細胞がどう大きくなるのかと
病状の観察記録をつけてほしいと言われました。
東大医学部の助手という肩書きはなかなか魅力的ですが、
時給のわりに仕事内容がいやで、したくないことです。
もうひとつは銀座の高級クラブの仕事でした。
時給8000円で夕方5時に入ればよくて、ヘアメイクなど
一切専属の美容師さんがしてくれて、高価なドレスや着物を着て、
キスすらしないでお酒の相手を優雅にしてお客さんの話を
にこやかに聞いていればいいそうです。
わたしは悩んでしまいました。
そして
「もしわたしがもう少し頭がよくなかったら、迷わずクラブの
ホステスを選ぶだろう。
また、もしわたしがもう少しルックスが悪かったら、
東大の助手しか選びようがないだろう。」
なんだかぜいたくな悩みみたいですが、2人の申し分のない
男性に求婚されて死んでしまった伊勢物語の女のように苦しみました。
変な表現ですが、夢の中でそう思ったのです。
でも、わたしは東大助手を選びませんでした。
研究室でのんびりしてるときに、
「あ、暇ならちょっと地下のプールに浮いてる死体洗いしてよ」
とか言われると、動物に癌細胞植えつけて観察する仕事に加えて
さらにつらくなりそうだったからです。
お友達は
「もったいない、ほんとにいいんですか?あなたよりすごい頭脳を
持ってる人でもなかなか手に入らない肩書きですよ!」
と言ったけれど、別に頭悪くてもいいから、楽しい仕事がしたいと思いました。
すごい頭脳ゆえに宇宙に孤独に飛ばされて爆発したり、癌細胞とか
放射能で被爆とか、しんどい仕事をするなら、学歴も頭脳もなくて
いいから、お花屋さんとか土いじりでも楽しいほうがいいです。
偏差値が高すぎて仕事や肩書きを限定される人は逆に馬鹿だと
思ってるところで目が覚めました。
夢の中で、わたしは「呪」と「殺す」というキーワードで
Googleを検索していました。
わたしは結婚していて、子供もいる主婦でした。
家族に言葉や行動でひどい虐待を受けていて、ずっと何年も我慢してきたのだけれど、
あるものを買おうとしたら、ひどく激昂されて、注文書を破り捨てられたとき、
心底殺意を感じました。
わたしが買いたいと思っていたのは、中国製の綿棒でした。
100本で300円程度のものです。
「綿棒なんて100円ショップにもある。そんな高いものは
贅沢だ。絶対買ってはいけない。」
でも、100円ショップの綿棒はスティック部分がくねくねしていて、
使いづらいのです。
中国製の綿棒は竹ひごのようなスティックの両脇に適度な硬さの
コットンがついていて、とても優れものだったのです。
「たかが300円でなぜそこまでいじわるするの?」
「お前には贅沢品に金はビタ1文使わせたくない。」
そういって、せっかく書いた注文書を目の前で破り捨てられたときが
最後の藁でした。
これまでずっと贅沢できないことに我慢していたこととか、
性格の悪さにあきれ果てていたこと、横暴さへの不快感などが
堰を切ってあふれてしまって、殺そうと思いました。
あれこれと殺害方法を考えたり、いつ殺そうか考えたりしましたが、
わたしが夫を殺害したら、子供は加害者と被害者がともに親となり、
このあとの未来はどうなるのだろうとふと気になりました。
「この子だけは守り通したい。」
そう思って、何度も何度も深呼吸をしたり、般若心経を唱えたり、
フレグランスのお香を焚いたりして、ようやく殺意を落ち着かせましたが、
やはり死んでもらわないとどうにも気がすみません。
「わたしは夜叉だろうか。」
先日、富ヶ谷の主婦が夫を殺してバラバラにした事件を思い出しました。
ずっと暴力を振るわれて、耐えてきた人が、憎い人をバラバラに
切り刻むときってすっごい快感だろうなあ。
たとえ死刑になっても、それはこれまで溜まってた邪念を身体から
払う必要な儀礼でもある、そんな気がして、彼女のほかにも、
阿部定とか、ほんとにいろんな殺人事件の加害者であり、弱者でもある
女性たちのことが走馬灯のように思い出されました。
「彼女たちもずっと耐えてきて、もう残りの人生が無くなっても、
吊刑に処せられても、刑務所暮らしをしてもいいくらい、殺したい
欲求が高まったのだろうか。」
そんな事件や犯罪者とは一生交錯しない、無縁だと思っていた
学生時代品行方正できわめてききわけのよい、優しい子で通ってきた
自分が殺害者を身近に感じているのが可笑しくもあり、悲しくも
あったけれど、もう涙も枯れていて、自分があわれにすら感じなくなっていました。
「子供のために、できれば法的には殺害者になりたくない。
呪い殺すことはできないだろうか。」
そう思ってGoogleで「呪」と「殺す」を検索したのです。
呪術師と称する人のサイトがありました。
行ってみたら、トップページに大きくこう書かれていました。
「人を呪うと呪い返しがあります。わたしはたくさん呪って、
かなり成功しました。呪いはたしかに成功率が高いことを自身で
証明しました。最近の学校のいじめもなく、遺書もない原因不明の
たくさんの自殺はわたしが呪った人たちです。でも、わたしは人を
呪いすぎて、呪い返しによっていま自身が自殺したいほどつらい
毎日で苦しんでいるので、しばらくこのサイトの管理はお休み
させていただきます。」
「なんだ、このサイトは休止中か。呪い殺し方が見れないなあ。」
でも、そんなことで殺意は消えません。
この人が元気になって、サイトをまたはじめるまで待つか。
でも、会社員がずっと我慢してても突然ぶち切れて会社をやめて
しまうことがあるように、わたしももう子供のことも世間体も
未来もすべてどうなってもどうにも我慢できなくて包丁を手に
してしまう時がくるかもしれません。
「カルメン」のドン・ホセがカルメンを何度も刺して殺してしまったように。
思うに自分に貧しい生活をてさせられているだけなら、殺意はいだかない
けれど、どうにも許しがたい、殺さないと気がすまないと感じる時は
侮辱、馬鹿にされたり、存在や自身のテリトリーが侵害されすぎるとき、
暴力や言葉によって安寧な時間がもてない絶望を感じて、心休まる
時間がありえなくなってしまったときだと思うのです。
おそらくバラバラ事件の加害者の妻も、幡ヶ谷の歯科医の次男も
そうなのでしょう。
「わたしはもう『どんな場合でも人殺しはぜったいにいけない』
なんて語る資格はない。
いつ自分も殺害するかわからないのだから。」
そこまで自身の魂が堕ちてしまった、堕ちさせられた悲しみを
感じました。
結婚しなければよかった。
なにもない状態に戻りたい。
もうほんとに夫を殺して自分も死ぬだけしか道は残ってないのかしら。
再婚したい。
ふとそんな気持ちがよぎりましたが、いい相手ができてもメールは
夫がみるだろうし、そもそもデートできるお金がない。
服も買えないし、美容院にもいけやしない。
あきらめるしかありません。
そう思っているところで目が覚めました。
夢の中で、わたしは誰か男性と2人でチベットの山の中を歩いていました。
「このあたりが鳥葬の場所ですよ。」
そう言われて案内された場所にはまだ肉のついた新しい屍も、
白骨もあって、鳥が死肉を啄ばんでいました。
すると太陽のほうに、ある点がみえて、それがだんだんと近づいて
きました。
「流れ星?」
だんだん近づいてくると、それは鳳凰(フェニックス)のように
見えました。
さらに近づいてくると、それは千手観音のように見えました。
でも、犬歯と尾骶骨が人間より発達しています。
動物のような牙があって、尻尾が生えているといったほうが
いいのでしょうか。
もっとそれが近づいてきたら、千手に見えたものは羽だとわかりました。
千の手にみえるような大きな羽を広げて、牙をもった美しい
人の顔をした鳥のような獣のような金色のものが飛んできたのです。
鳥葬とは、ハゲタカに屍を啄ばませることが目的なのではなく、
この存在へのサクリファイス、贄なのだと瞬時に思いました。
宗教や世界各地の古い遺跡には、空になにか人間が対峙した存在が
あるように思わせるものがたくさんあります。
鳥居、ナスカの地上絵、天にまします我等が父よ、という祈りの
言葉、雲に乗って表れる観音さま、そしてフェニックスなどなど。
それはこの鳥が正体なのでしょうか?
この鳥はハーピーというギリシャ神話に出てくる鳥のようですが、
この鳥の牙と尻尾がとても気になります。
人間はどうして牙の退化したような犬歯と、尻尾が退化したような
尾骶骨があるのでしょう。
人間はこの存在の子孫にあたるのでしょうか?
まったく無関係なのでしょうか?
そんなことをあれこれ思いながら、ハーピーの飛んでいったほうを
後を追って、ヒマラヤ山頂を目指そうとするところで眼が覚めました。
最近のコメント